前回ブログを更新してからまたも日が開きました。
コメントいただいてたのに返事も書かずすみません。(やっとお返事書きました...おそくなってごめんなさい><)
だいたいいつものことなんですが、
ブログでたいそうなことを書くと、後で必ず私は落ち込みます。
がんばるぞ!と書くと
その直後に、
あたし全然がんばってないじゃん、
書いたこと全然実行してないじゃん、
と自分を責めてしまうのです。
アホか。
今回も、書いた後、
もうあたしは、英語学習について、特に子供の英語についてはもう何も書くまい。
あたしにそんなことえらそーに(えらそーかどうかはさておき)書く資格はない、
と本気で思いました。
英語なんてもう、知るか、くそくらえじゃ。やめてやる、とさえ思いました。
他にも、生活していて、ふと、
日々の家事と子育てに追われ、その家事や子育ても思ったようにできず、
自分は何をしているんだろうか....
何も楽しいことがない....
と思ったり。
(実際家族と楽しい時を過ごしているはずなのに)
最近問題になっている、いじめで自殺した子の話を上の二人の子供たちとした時、
とにかく、自殺だけはしたらあかん!と強くいった。
今は学校へ通わなきゃいけなくて、
楽しかろうがつらかろうが、それが自分の生活で多くをしめていて、
自分の世界は今の学校を中心としたせまい世界がすべて、と思ってしまうかもしれないけど、
それは違うんだと。
今いる世界がおかしいと思えば、そんな環境からは去って、新しい世界で生きるべきだと。
こんなに世界は広いのに、
病的にサイテーなやつらのために自分を犠牲にして生きていくべきではないし、ましてやその世界の中であきらめて自らの命を絶つなどもってのほかだと。
自分の子供が自殺するなんて、
親にとって、何と表現していいのかわからないほどの、苦しみ、悲しみなのだと。
自分の命を大切にして、といった。
なんでそんなことを今書いたかというと、
私はもちろん自殺なんて考えもしないけど、
ただ、
自分が気づいていないうちに、今のせまい世界の中でものを考え、考えも不完全なままで、
どんどん色んなことを悪い意味であきらめはじめていた、ということに気づいたのだ。
気づいたきっかけは、今回実家に帰省したこと。
え、何?帰ってたの?と思われた方もいらっしゃるでしょうか...
帰ってました。
でも、そういうどんよりした精神状態でしたので、あまり人に会うつもりもなくて。
ただ、一番長く、濃く私がやってた英語サークルに来てくれていたお友達とは会うつもりでいました。
でも、こんな精神状態で会っても良くないことはわかってました。
しかし、実家についた翌日、気持ちを前向きな方向に切り替えるきっかけとなることが起こりました。
毎週参加しているELEのbook discussionで、です。Today Mattersという本を読んでいるのですが、その中で、Liz Murrayという女性についてのことが書かれていました。
彼女は、ニューヨークのブロンクスで生まれ育ち、両親ともにドラッグ中毒でHIV。母親がエイズを発症
し、家族は崩壊し、彼女はホームレスとなってしまいます。
しかし母親が死んでしまい、彼女はこのまま母親と同じ轍を踏むことをやめようと決意します。
そして、信じられないことですが、ホームレス生活をしながらも、高校に通い、4年で卒業のところを2年でトップの成績で終了し、奨学金を得てハーバード大に進学するのです。
実話です。
映画もあって、ブッククラブが終わってすぐ検索したらなんとYoutubeで見れました。
で、映画の前に、同じくYoutubeにあがっていたLizのビデオを見ました。
TEDの、若者向けバージョン?のTEDxYouthというものでの講演でした。
その中で彼女は、盲目の男の子の話をしました。
その男の子は、盲目なんですが、口で音を発して(clicking soundって言ってました)でどうやらその反響音などで、何があるかわかるそうです。
研究者たちは、その事実にものすごく驚きどうやってそれを実現しているのか、という技術的なことに興味を持ちました。でも、Lizは、別の点に感銘を受けたのだそうです。
それは、可能性、という点です。
その男の子は3歳の時に視力を失いました。目に癌を患ったそうです。
3歳の子供の体全体に大きな負担をかけて化学療法を続けるべきか、癌を患った目を摘出して、視力を完全にあきらめて、目以外の体に健康を取り戻すのか、お母さんは苦しみ、迷いました。
でも、視力をあきらめるほうを選びました。
3歳の男の子が、手術を終え、目覚めた時、 お母さん、目が見えないといいました。
お母さんは言いました、いいえ、あなたは見えるわ。
視覚以外のすべての感覚をつかって、感じ、見ることができると。(このあたりはぜひビデオのLiz本人の言葉で聞いてみてください)
Lizが感動したのは、
視力を失った時点で、見ることをあきらめなかったお母さんの態度です。
あきらめず、新しい可能性を探り、実現させた。
ホームレスからハーバードへ行ったLizも、視力を失ってもみることができる男の子も、
可能性をあきらめなかったからできたことだと言うのです。
わたしも、 あきらめるのはよそうと思いました。
LizのTEDxYouthでの講演ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=dbleDqLdhaE&feature=related
とても聞き取りやすい美しい英語のスピーチですが、もし聞き取りにくいならば英語の字幕もでます。なんて便利。
Lizの生い立ちについての映画
Homeless to Harvardたまたま、この日のブッククラブでLizのことを知り、深夜にもかかわらず、彼女のビデオをyoutubeでむさぼるように見、
私は、陳腐な言い方かもしれませんけど、自分を取り戻すことができました。
そして、翌日、
英語サークルでの古い友人たち(今もそれぞれ違うかたちで子供たちに英語を学ばせている)に申し訳ない気分ではなく、心から喜んで会うことができました。
友人に会って、
あぁ、やっぱり、うちの子の英語、続けていこうと思いました。
あれから、とても前向きに子供との英語に向き合えるようになりました。
ただ、帰省中だったので、全く英語はしてません。今私は横浜に戻っているけど、上の二人は主人の実家にいるので、英語のえの字もない生活をしています。
ただ、子供たちが帰ってきたらこれをやろう、あれをやろう、ってアイデアがわいてきました。
これもまた、狭い世界に閉じこもっていた、その殻を破れたんだと思います。
それと、だいぶ、素直な気持ちになれました。今まで何度かそういう機会もあったのですが、また新たに、謙虚な気持ちになりました。
今まで、実は、実際会ったことのある友人のものを除いて、親子英語(英語育児?)ブログの多くって、ちょっと怖い、よくあそこまでやるよね、とか、偏見があって、避けていました。
でも、ランキング上位のブログを素直な気持ちで読んでみると、
成功している方のリアルタイムの体験談のなんと勉強になること。
今まで食わず嫌いしてたなぁと思いました。
それからもう一人、以前サークルに来てくれていたお友達に会いました。
サークルをしてなかったら彼女と仲良くなれることもなかったであろうと思う、とっても素敵な人です。
もっともっと話がしたかったのですが、事情があり(長女め...)限られた時間だけでしたが、話せてよかったなぁ。
今回帰省して、普段離れている家族や古い友人に会って、心がほっとしました。
で、あたしまだこっちでほんとに友人って呼べる人っていないなあと思いました。
学校へ行くと、そこそこ顔見知りもでき、話す相手はいます(これはこれで長い道のりでした...),
でも、そこから一歩踏み込んで友人がいるかというと、いない。
友達を作るためにも、外へ出て行かないといけないと気づきました。
時間もかかるだろうけど... あせらずに....
あと、忙しいから、とついつい誘いを断ってばかりなのもやめよう。
と、
そんな感じです。
親子英語で進展があればいつかまた書きたいと思います。
それから、英語でブログ書くのはやめました。(やめるんかい!)
時が来たら、英語で別にブログを作るかもしれませんが... ここでは日本語で書くほうがやっぱりいいと思いました。
なんだか、英語を使う場所がないとおそろしく悲観的になっていた少し前とは反対に、そんなことは気にすることじゃない、英語を使う場所をあせって探すこともなくて、そのうちあるだろうし、今も実はあるんじゃないの?なんて気がしています。
ではではこのへんで。